13年にわたって歌舞伎座にかかわってきた
吉積サイモン氏が
著書『バトラー サイモン』(TAC出版刊)を著した。


 劇場も歌舞伎の一部

 歌舞伎座が4月28日に「御名残四月大歌舞伎」の千秋楽を迎えて、いよいよ取り壊される。1925年(大正14年)に建てられたものを、戦災で内部が焼け落ちたため、戦後の1950年(昭和25年)に改修、以来ずっと使い続けてきたのだから、確かに老朽化は否めない。役者が浮き立つような明るく透明感のある照明と、マイクなしでも後ろの席まで声が届く音響効果のよさが際立った。そうした意味で「歌舞伎座もまた歌舞伎の一部」ということになろう。


 新・歌舞伎座の設計は隈 研吾氏

 新たな歌舞伎座を設計するのは建築家で東京大学教授の隈 研吾(くま けんご)氏。「ティファニー銀座ビル」や六本木ミッドタウンの「サントリー美術館」、東京・南青山の「根津美術館」などを手掛けたことで知られる。「祝祭空間としての歌舞伎座の雰囲気はできるだけ守る方針」(4月27日付け朝日新聞)ということなので、背後にガラス張りのオフィスビル(29階建て)はそびえるものの、唐破風(からはふ)や入り母屋づくりなど、「江戸」の雰囲気を感じさせる歌舞伎座の特徴的な部分は残りそうだ。完成は3年後の2013年春の予定である。


 歌舞伎座に“外国人”のもぎり

 ところでその歌舞伎座で“外国人”のスタッフに出くわしたことはないだろうか。チケットの “もぎり”をつとめていることもあれば、幕間(まくあい)にVIPと思しき外国人のお相手をしていることもある。流暢な日本語を話すので、最初は日本の伝統文化を学ぶためにヨーロッパあたりからやってきた研修生ではないかと推測していたのだが、知り合いの関係者に聞いてみたところ「彼はれっきとした歌舞伎座のスタッフ」ということでビックリ。
 その“外国人”こそ、今回『バトラー サイモン』なる著書をものした吉積(よしづみ)サイモン氏である。


 両親はドイツ語、母とは英語、父とは日本語……

 サイモンさんは日本人の父親とイギリス人の母親との間に日本で生まれ育った。国籍も日本だ。しかし、ホルン奏者の父親と児童教育を学ぶ母親が出会ったのがドイツで、両親の家庭内での会話はもっぱらドイツ語。子どもたちは母・クリステルさんとは英語、父の光二氏とは日本語で会話するというユニークな家庭環境で育った。
 「母国語」という言葉があるように、人が言葉を覚えるのは母親を通してだ。したがってサイモンさんの母国語は「英語」である。
 外国人の外見と言葉のバリアによるこの国での「生きにくさ」は本書を読んでいただくとして、彼の人生を決定づけたのは、高校を卒業すると同時に世界を旅した「バックパッカー」の体験と、名古屋ヒルトンで「バトラー」として働いた接客経験である。


 「バトラー」という仕事が合っていた

 ほとんど毎月、歌舞伎座で見かけながら、サイモンさんがこのような経歴の持ち主であることは本書を読むまで知らなかった。バックパッカーの時代に「世界にはいろんな人がいる」ことを知り、バトラーの時代には「世界には超一流の人がいる」ことを学んだようだ。
 「バトラー(Butler)」という仕事は日本ではあまりなじみがないが、1994年に日本でも公開された映画「日の名残り」をご覧になった方は、アンソニー・ホプキンスの名演でバトラーの仕事を強く印象づけられたことだろう。オックスフォードの名門貴族を守るために全身全霊で尽くす「老執事」の役であるが、アカデミー賞の8部門にノミネートされたほどの名作である。原作を書いた英国在住の日本人作家カズオ・イシグロ(石黒一雄)は、この作品「The Remains of the Day」で1989年に英国の代表的な文学賞「ブッカー賞」を得ている。「感謝されることを求めず、人知れず尽くす生き方」は、日本人だけでなく、多くの人の「心の琴線」に触れた。そんなバトラーという仕事が「自分に合っていた」とサイモンさんはいう。


 「文化の僕(しもべ)になる」

 「バトラー時代」に学んだのが「コミュニケーションの大切さ」であり、「生き方の大切さ」だった。特にホテルのVIP客の一人、歌舞伎俳優の坂東玉三郎丈には大きな衝撃を受けたという。「当代きっての歌舞伎役者の人柄の素晴らしさを目の当たりにして、文化に携わる人の偉大さに目覚めた」そうだ。
 「経済は文化の僕(しもべ)」という言葉があるが、その真意は「経済活動は豊かな文化を育てるためにこそある」というものだろう。しかし、こと改めてこのようなことが強調されるのは、現実には多くの人が「経済の僕」になっているからだろう。
 そこでサイモンさんは歌舞伎に親しむうちに、父親がクラシックの演奏家ということもあってか、俄然、「文化に携わる仕事」に関心を向ける。


 目に見えない「歌舞伎の世界」で奮闘

 ホテルの仕事を「卒業」して、紆余曲折を経ながらようやく手にしたのが歌舞伎座での接客の仕事。高級ホテルでのバトラーの経験を生かして「歌舞伎座を変える」意気込みで乗り込んだのだが、そこは組織らしい組織もなければ、マニュアルや人事の序列なども通じない「経験」と「実力」だけがものを言う世界だった。特に「梨園(りえん)」と呼ばれる歌舞伎俳優の世界は、外部からは伺い知れない「見えない力」で「秩序」と「安定」が保たれている。
 そんな世界で“外国人”のサイモンさんがどのように「奮闘」してきたかは、本書をじっくりお読みいただきたい。


 6月にロンドンでも歌舞伎の公演

 さて、歌舞伎座の建て替えである。サイモンさんは歌舞伎座に所属しているので、一時的とはいえ歌舞伎座がなくなるため、同時に職も失う。このような状況を「転機」と呼ぶのだろう。
 そこでサイモンさんは今、これまでに学んだ「コミュニケーションの技術」と「歌舞伎に対する造詣の深さ」を生かして「日本と世界の文化交流の仕事」に邁進しようとしている。
 そのきっかけは2009年3月の「音羽屋(尾上菊五郎丈)さんのロンドン公演にご一緒したこと」だったという。この蜷川幸雄・演出の歌舞伎「NINAGAWA十二夜」は、次代を担う尾上菊之助の活躍もあって、ロンドンっ子から大喝采を浴びる。その結果は、今年6月に予定している「松竹大歌舞伎 ロンドン公演」にもつながっている。今年のロンドン公演は2010年6月4日〜15日、サドラー・ウェルズ劇場で市川海老蔵ほかの出演により「義経千本桜(鳥居前・吉野山・川連法眼館)」が上演されることになっている。


 歌舞伎の不思議な世界

 「歌舞伎は知れば知るほど不思議な世界です。それぞれが個別に“お家の芸”を学んできて、それを持ち寄ることで舞台が出来上がる。現代作家の歌舞伎は別として、古典の演目を上演する場合などは、演出家もいなければ監督や指揮者もいません。それでいて一糸乱れず統制がとれています。合理的な仕組みが支配する現代にどうしてこのようなことが可能なのか、ぜひ多くの人に知ってもらいたい」とサイモンさん。
 特に歌舞伎は大道具、小道具、衣装、音響、照明などのほか、鳴り物を扱う囃子方などもあり、こうした「裏方」や接客を担当する「表方」を含めると「一つの舞台に1,000人近くがかかわっています。それでいて、それぞれが自分の役割を心得ていて、自分で考えながら動いています。文化の重みを感じますね」とその特異性に注目する。そして「スタッフを含めたすべてが歌舞伎座なので、ハードが建て替えられても、“ひと”を通じて伝えられるソフトはそのまま残されることを願っています」という。


 まずは地道に文化交流を

 サイモンさんは「将来はロンドンに歌舞伎専用の劇場があったらいいな」と大きな夢を持ちながらも、まずは多くの支援者の協力を得て、地道に文化交流の仕事から始めるとのこと。その手始めに、銀座の和菓子屋さん「鹿乃子」で、さまざまなジャンルのアーティストを招いて「鹿乃子の夕べ」を開いている。
 サイモンさんが「文化の僕」として本格的に表舞台に登場してくるのも、そう遠いことではなさそうだ。
(Text/設楽 康平 Photographs/寺田 明香)※資料写真は本人提供



<吉積 サイモン(よしづみ さいもん)>

1972年、日本人の父とイギリス人の母との間に日本で生まれる。日本の高校を卒業後、世界を旅行し、さまざまな仕事に就きながら自分の生きる道を探る。名古屋ヒルトンでバトラーの仕事に就き、VIPの接客に能力を発揮。その後、歌舞伎座に勤務、日本の伝統文化を知る。歌舞伎座の建て替えにともない「サイモンズ・コミュニケーション」を設立、文化交流の仕事に乗り出している。

 

プレゼント

吉積サイモン著『バトラー サイモン』(TAC出版刊、定価:1,200円・税別)を著者のサイン入りで5名様にプレゼントいたします。

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