日本初!二大巨匠が上野で出会う ゴッホとゴーギャン展 東京都美術館で開催される東京展のペア入場券を5組10名様にプレゼント
19世紀のほぼ同時期に活躍し、お互いに影響しあいながら共同生活まで営んだゴッホとゴーギャン。生い立ちも絵画表現も異なりながら、今なお世界中で愛されている二人の画家の関係に焦点を当てた、日本で初めての展覧会。
東京都美術館で開催される東京展のペア入場券を5組10名様にプレゼントします。
オランダ生まれのゴッホ
1853年3月30日、オランダ南部のフロート・ズンベルトで牧師の子として生まれたフィンセント・ファン・ゴッホは、美術商グーピル商会に勤めたあと、牧師を目指して神学を学ぶも挫折、ようやく1880年8月に画家になることを決心、ほぼ独学でデッサンを始めたという。すでに27歳になっていた。
パリ生まれのゴーギャン
一方のポール・ゴーギャンは1848年6月7日、フランスのパリで生まれている。ゴッホよりも5歳、年長だったことになる。しかし、翌年には一家でペルーのリマに移り、生後7歳くらいまでをペルーで過ごしている。パリに戻り、長じて商船に乗り組んだり海軍に勤務したり、世界各地を巡っている。
34歳で画家を目指す
ゴーギャンはパリで株式仲買人として働く傍ら画塾へ通い始め、バルビゾン派の影響を受けながら、印象派の技法に基づいた写実的な画風に特徴があった。後年に見られる幻想的なタッチの作品とはかなり異なっている。そうして、株式仲買人の仕事を辞めて画家を目指すのは1883年、34歳のときだった。
パリのゴッホ
画家となったゴッホはパリに出て新しい絵画と出会い、前衛画家などとの交流もあって、表現を急速に変えていく。オランダで描いていたころの暗い色調の「時代遅れ」の画面に比べると色彩がずっと豊かになり、幅広い様式に学びながら新しい技法を貪欲に吸収していたことがよくわかる。
旅するゴーギャン
同じころ(1886年)、ゴーギャンはフランス北西部のブルターニュに滞在した後、翌1887年にはパナマへ行き、カリブ海のマルティニク島に滞在したりしている。これは都市の喧騒を遠く離れて、より原始的で素朴、野生的で幻想的な世界を求める第一歩だったのかもしれない。
二人の出会い
ゴッホとゴーギャンが交流するようになったのは、ゴーギャンがマルティニク島からパリに戻った1887年11月ごろからとされている。翌1888年南仏のアルルに移り住んだゴッホは強い光のもと、激しい筆致の作品を描きはじめる。ゴッホの誘いに応じてゴーギャンがそこに合流するのは10月のことである。
アルルの二人
しかしながら、ゴッホが用意した「黄色い家」での二人の共同生活は、わずか2カ月で破綻してしまう。性格も芸術への考え方もまるで異なる二人が、一緒に生活することは無理だったのである。ゴッホの「耳切り事件」などもあり、ゴーギャンがゴッホの元を去ることにより二人の共同生活は終わりを告げた。
その後の二人
ゴッホは精神障害による発作に苦しみながらも、1890年7月にピストル自殺で亡くなるまで精力的に作品を描き続けている。ゴーギャンもまた、1891年にタヒチに渡り、文明から隔絶された「汚れなき自然」を描き、大作『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』などを完成させて、最後はマルケサス諸島のヒヴァ=オア島で亡くなっている。
ゴッホとゴーギャン
オーストリアのウィーンを訪れたとき、美術館でゴッホの自画像を見たことがある。それは、頭がクラクラするほど激しい筆致の黒の自画像だった。印刷されたものと直筆の作品ではこうも違うものかと、大きな衝撃を受けた覚えがある。ゴーギャンの作品もまたきっと同じだろう。そして、二人がお互いに敬意を抱いていたことは、そこに相手の存在を感じさせる「椅子」の作品を見ればよく分かる。
会 期:2016年10月8日(土)〜12月18日(日)
会 場:東京都美術館(東京・上野公園)
開室時間:9:30〜17:30(金曜日は20:00まで)※入室は閉室の30分前まで
休室日:月曜日、10月11日(火)※ただし、10月10日(月・祝)は開室
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※当選者の発表は、賞品の発送(2016年9月中)をもってかえさせていただきます。
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