ウィーンの至宝が大集結! ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道 国立新美術館「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」のペア観覧券を5組10名様にプレゼント

エゴン・シーレ《女性の肖像》(ウィーン工房ポストカード No.289)1910年 ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum / Foto Peter Kainz ※大阪展は別のポストカードを出展

19世紀末から20世紀初頭にかけて、ウィーンでは独自の装飾的できらびやかな文化が開花しました。今日では「世紀末芸術」と呼ばれるこの時代、グスタフ・クリムトやエゴン・シーレだけでなく、数多くの芸術家が登場し、ウィーンの文化は黄金時代を迎えます。それは、どのような経緯を経て豪華絢爛な芸術運動へとたどり着いたのでしょうか、その軌跡をたどります。

グスタフ・クリムト《エミーリエ・フレーゲの肖像》1902年 ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum / Foto Peter Kainz

変貌するウィーン

ウィーン・モダン展の第1章は「啓蒙主義時代のウィーン」で幕を開けます。それはマリア・テレジアと、その息子ヨーゼフ2世が統治した18世紀ハプスブルク帝国の首都としてのウィーンです。この時代、宗教や人種に寛容で、死刑や農奴制が廃止され、病院や孤児院が建設されるなど、さまざまな改革が実行された「啓蒙」の時代でした。これによってウィーンは、自由な精神を持つ多くの知識人、特に富裕なユダヤ人たちを魅了し、ヨーロッパ文化の中心地へと大きな変貌を遂げていったのです。

フランツ・ルス(父)《皇后エリーザベト》1855年 ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum / Foto Peter Kainz

フリードリヒ・フォン・アメリング《3つの最も嬉しいもの》1838年 ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum / Foto Peter Kainz

マルティン・ファン・メイテンス《幼いヨーゼフ2世を伴ったマリア・テレジア》1744年 ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum / Foto Peter Kainz

ハンス・マカルト《ドーラ・フルニエ=ガビロン》1879-80年頃 ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum / Foto Peter Kainz

ウィーンの象徴「環状道路」

第2章は「ビーダーマイアー時代のウィーン」です。ビーダーマイアーとは、当時ミュンヘンで出版された風刺小説に登場する小学校教師「ゴットリープ・ビーダーマイアー」から取られたもので、「小市民」的な価値観を象徴するものでした。それは、厳しい検閲と抑圧の下で、人々がもっぱら「私的な領域」に美を見出す時代だったのです。次いで第3章の「リンク通りとウィーン」の時代へ向かいます。わずか18歳で即位した皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が命じて造らせたリンク通り(リンクシュトラーセ、環状道路)は、19世紀のウィーンの繁栄を象徴するものです。

グスタフ・クリムト《愛》(『アレゴリー:新連作』のための原画 No.46)1895年 ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum / Foto Peter Kainz

グスタフ・クリムト《パラス・アテナ》1898年 ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum / Foto Peter Kainz

グスタフ・クリムト《第1回ウィーン分離派展ポスター》(検閲後) 1898年 ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum / Foto Peter Kainz ※大阪展は同作品の別版を出展

壮麗な建築群

リンク通りは1857年に、皇帝ヨーゼフ1世がウィーンを取り巻く古い城壁を取り壊させ、その周囲の軍用遊休地を解放して、新たに壮大な環状道路を開通させたものです。その沿道には新王宮をはじめ、国会議事堂や市庁舎、ブルク劇場、オペラ座、美術館、博物館など、様々な様式の壮麗な建物が次々に建てられました。「世紀末ウィーン」の時代的な背景には、啓蒙主義からビーダーマイアー様式を経て、リンク通りに象徴される空前の繁栄と近代化への大きなうねりがあったのです。

エゴン・シーレ《自画像》1911年 ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum / Foto Peter Kainz

エゴン・シーレ《ひまわり》1909-10年 ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum / Foto Peter Kainz

華麗なウィーン文化

第4章はいよいよ「1900年—世紀末のウィーン」です。建築家オットー・ヴァーグナーによる都市デザイン・プロジェクトの数々や、グスタフ・クリムト率いる「ウィーン分離派」の結成、さらにウィーン工房の設立による工芸、デザイン、ファッション、インテリアなど、華麗なウィーン文化が花開いていきます。それは一方で、オーストリア・ハンガリー帝国の黄昏と軌を一つにしており、終末期の憂いを含んだものとなったのです。

マクシミリアン・クルツヴァイル《黄色いドレスの女性(画家の妻)》1899年 ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum / Foto Peter Kainz

カール・モル《朝食にて(母と子)》1903年 ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum / Foto Peter Kainz

《パラス・アテナ》の衝撃

今回の最大の見所は、クリムトが生涯のパートナー、エミーリエを描いた《エミーリエ・フレーゲの肖像》でしょう。エミーリエは、クリムトの弟エルンストが結婚したヘレーネの妹で、モードサロンを経営する聡明な企業家でした。日本的な装飾の中に、彼女の自信に溢れたスタイリッシュな雰囲気がよく表されています。もう一つは、同じクリムトの作品《パラス・アテナ》です。保守的な画壇に真っ向から挑むような作品は、美術史上に大きなインパクトを与えています。右手に持った「ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)」の化身は、同時期に東京都美術館で開催されている「クリムト展」でも見ることができます。

《エミーリエ・フレーゲのドレス》(複製、1909年製作のドレスに基づく) ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum / Foto Peter Kainz

ヨーゼフ・ホフマン《ブローチ》製作:ウィーン工房 1908-10年 International Friends of Wien Museum, A.P. Collection ©Asenbaum Photo Archive

オットー・ヴァーグナー《カール・ルエーガー市長のための椅子》1904年 ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum / Foto Peter Kainz

4人の没後100年

世紀末ウィーンで最も象徴的な出来事は、1918年に画家のグスタフ・クリムトとエゴン・シーレ、建築家のオットー・ヴァーグナー、ウィーン工房のデザイナー、コロマン・モーザーの4人が相次いで亡くなったことです。シーレはわずか28歳の若さでした。この年にハプスブルク帝国が崩壊していることを考えると「世紀末ウィーン」はこの年で終わったように思われます。しかし、100年後の今日まで私たちに大きな影響を与え続けていることを思うと、世紀末ウィーンの芸術はとても一時の徒花(あだばな)とは思えません。その実相を、自分の目でしかと確かめておきたいものです。

ダゴベルト・ペッヒェ《ティーセット》製作:ウィーン工房 1922-23年頃 ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum / Foto Peter Kainz

モーリツ・ネール《郵便貯金局メインホール》1906年 写真 ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum

●ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道
会場:国立新美術館 企画展示室1E(東京・六本木)
会期:2019年4月24日(水)〜2019年8月5日(月)
当日券:一般 1,600円 他
●展覧会への問い合わせ
Tel. 03-5777-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式ウェブサイト:https://artexhibition.jp/wienmodern2019/
※開館時間、休館日、観覧料、割引制度、企画券など、詳細については上記の公式ウェブサイトをご参照ください。
●読者プレゼントのお知らせ
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エントリー期間:2019年2月15日(金)〜2019年3月25日(月)

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